人柱地蔵
むかし、むかし、吉備の国(岡山県新見市・旧大佐町)の大佐千谷にある割亀井堰というのがあるそうな。
小阪部川をせき止めて割亀の井手(土手)が造られていたが、洪水でたびたび流失したそうな。
千谷地区では稲が作物ができない。
困った村人が相談、人柱を立てないからだと言う結論に・・・
しかし人柱になる人がいないのだ。
たまたま通りかかった六部(行者)に頼むと村人のためならと人柱になる。
それから井手は洪水でも流されなくなった。
その六部を祭ったのが人柱地蔵なのだそうだ。
と、当地の自治会長Tさんが語るのだが・・・
特に面白くも珍しくも無いじゃないですか?
まだ続きがあるんだて~
その六部というのが、越後の国、月潟村出身のトモキチ(友吉)だと言うのだ。
へ~それはビックリ!!
ネットで調べるも、その六部の出身地や名前までは分からなかった。
この件で情報をお持ちの方、ご教授願えれば幸いです。
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コメント
輝ジィ~ジさま、こんにちは。
そのようですね。でも今となっては信じがたいですけどね。
投稿: もうぞう | 2010/06/28 16:44
もうぞうさま
人間の考えることは、基本的に洋の東西問わず、同じでは無いでしょうか?
日本にも神話だけではなく、生贄、或いは人身御供と言う
言葉が存在していること自体その証かと思います。
人身御供では有りませんが、数多くの即身仏が全国で見られる事もあり、
歴史的背景から何があっても不思議では無いような気がします。
投稿: 輝ジィ~ジ | 2010/06/28 11:57
玉井人ひろたさま、おはようございます。
私もこの人柱から諏訪の御柱祭を想像しました。
やっぱりそうだったんですね。
科学の未発達な時代ですから、神様を中心に考えざるを得なかったのでしょうかね~
投稿: もうぞう | 2010/06/25 05:45
実は、今でも「生贄の儀式」が日本に存在しています。
ただし、明治になって政府から禁止されたため形式だけで本当には生贄をしません。
諏訪大社の「御頭際」がそれです。明治政府によって禁止されるまで毎年神前には50頭以上(記録では70頭もある)の神の使いである神聖な鹿の頭を供えていたそうです。
現在は剥製をその代用にして儀式は継続されています。
一説には「古代ユダヤ教」の儀式「神聖な羊の生贄」が伝わったものともいわれます。
信仰とは見方によれば奇怪ですよね。
奈良の鹿が異常に昔から増やされていた理由を知るとちょっと恐ろしいですね
いや、もしかすると増えすぎて生態系を壊している現在のほうが恐ろしいのかも知れません
投稿: 玉井人ひろた | 2010/06/24 20:47
山口ももりさま、こんばんは。
いけにえでしょうね。
洋の東西を問わずそのような話は数多くあったようですからね。
でもこの手の話の信憑性はどの程度のものなのかな~
投稿: もうぞう | 2010/06/24 20:24
人柱って、結局いけにえなんでしょう???古い文明には常に生贄が登場しますね。それも大切なものほどご利益がある・・・とかで・・・こどもをいにえに・・・とか???人間のすることは怖ろしい!!!です。
投稿: 山口ももり | 2010/06/24 11:31