「角兵衛獅子」呼称の起こり
玉井人ひろたさまの「越後獅子」と「角兵獅子」とは・・違う?違わない?に詳しいですが・・・
「郷土芸能 角兵衛獅子」近藤忠造:著(平成9年)によれば
定かではないとされています。
そしてこの研究の第一人者の関本賢太郎氏は、雑紙「潮」(昭和9年)に人名説と訛言説あると記している。
人名説には、獅子の元祖説・獅子頭の名工説・最初の巡業者説があります。
訛言説には、角觝(かくてい)獅子の訛り説・蒲原獅子の訛り説。
などであると記しているが、もちろん親方説も有力な説であることは否定できません。
角兵衛獅子の研究は、遅れていると言われていますが、
主な単行本でも
安藤ひろし・藤田徳太郎・大沢錦邦・佐藤広重・柴山全慶・本田安次・桑山太市・関本芦村・近藤忠造・横山旭三郎氏などが記しています。
雑紙論文等では
林トシ・橘正一・緑川玄三・関本賢太郎・三原文氏などが
他、新聞記事など多数。
しかし今でこそ、郷土芸能などともてはやされているが、当時(昭和初期~戦後30年くらい)地元では、人身売買や児童虐待などのうわさからか、獅子は村の恥として忌み嫌われていた。
そのため多くの親方は、関連する資料・衣装や道具を廃棄したという。
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コメント
輝ジィ~ジさま、こんばんは。
詳しいと言っても、受け売りですから。
だんだん忌まわしいことが忘れられて、伝統郷土芸能として認識されるようになってきたようです。
投稿: もうぞう | 2010/02/13 19:00
もうぞうさま
流石 地元だけに詳しいですね。
今となっては、研究者の何方の説が正しい?のか
結論は出せないでしょう。
旧月潟村の皆さんには無責任かも知れませんが、
郷土芸能として繋げていくほうが宜しいのでは、と思いますが…
投稿: 輝ジィ~ジ | 2010/02/13 18:22
こんばんは。
>玉井人ひろたさま
お陰さまで私も少し調べてみました。
しかし難しいものですね。
>山口ももりさま
いったい何人ぐらい無くなったのか?まったく資料がないようです。
投稿: もうぞう | 2010/02/12 19:19
人身売買や児童虐待などのうわさ・・確かに・・・美空ひばりの歌もモノ悲しい歌詞ですよね。
今日も今日とて おやかたさんに 芸がまずいとしかられて バチでぶたれて・・・
私が子供の頃は暗くなっても外で遊んでいると「人攫いにさらわれる」とか「子盗りがくる」とか云われたものです。トンビにさらわれる・・・とかもね。
神隠しにあったように子供が突然いなくなることはあっても、今みたいに警察で調べないですから、誘拐や水死や事故死もあったでしょうね。
投稿: 山口ももり | 2010/02/12 09:12
私もあちこち見ましたが、たぶん今のように特定名称は無かったのを芝居や映画、小説によって固定化されていったと考えた方が一番近い気がします。
元々は「越後の獅子舞」、「蒲原の獅子舞」、「月潟の獅子舞」というように「どこどこの獅子舞」だったような気がします
テレビの「水戸黄門様」が諸国漫遊するときに使う「越後のちりめん問屋の隠居」というのは江戸時代の「芝居一座の名前」に沢山あるんだそうです。角兵の名はその流れの一座名の通称かもしれません
投稿: 玉井人ひろた | 2010/02/12 08:25
エンドウマメさま、おはようございます。
ウィキペディアでは、角兵衛親方説。かんばら獅子から訛った説をとっていますね。
地元言い伝えでは、水戸から来た角兵衛という人殺された。
その時足の指を噛みきった。
それを探すために、角内と角助の子どもが、犯人を捜すために逆立ちをして諸国をまわった。と言う説です。
また水害の多い地帯で、飢饉に見舞われることが多かった。それで角兵衛という人が、獅子舞を始めたとも・・・
関係あるかどうか分かりませんが、地元では地元の名称を使わないのが一般的です。
例えば新潟県立新潟高校は、「けんたか」とか「けんこう」と言います。
その説をもってすれば、地元で越後獅子とか蒲原獅子と言わなかったことが、納得できます。
またこの近藤氏の書籍によれば、上方では越後獅子。
江戸ではかくべ・かくべゑ・角兵衛獅子。
蒲原では月潟獅子。
越後や信州では、蒲原獅子。
地元月潟では、獅子の児・獅子どり・ベエか・ベエか衆などと呼ばれていたそうです。
投稿: もうぞう | 2010/02/12 07:22
ウキペディアには、こう云う書き込みがされていましたよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%8A%E5%BE%8C%E7%8D%85%E5%AD%90
投稿: エンドウマメ | 2010/02/11 22:36