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2007/01/14

「横山太平」という人

角田山頂の一画にある氏の胸像。
何度も見ているが、どんな人なのか皆目分からなかった。
ネットで調べれば、出ていると思い調べた。が、まったく情報が少ない・・・

氏は、柏原正夫と共に?新潟市発展には関屋分水が必要であると考え、県や市の当局に訴え続けた人物らしい。

時代の街道の関屋分水の項に記載がある程度だ。

Yokoyama

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コメント

輝ジィ~ジさま、こんばんは。
そうですか。
それはそれは・・・・
でもなんで角田山に像があるのか不思議です。
関屋分水の公園にもあるらしいですね。

投稿: もうぞう | 2007/01/18 19:14

小生 現役時代会社の大先輩に太平翁の甥っ子に当たる人がいました。
太平翁の一族が関係しておられた会社も今は、時の流れで、なくなりましたネ!!

投稿: 輝ジィ~ジ | 2007/01/18 16:07

おはようございます。
>Racexpさま
松尾与十郎を検索しましたが、結構ヒットしました。
横山氏より多いですね。
もちろん私は知りませんでした。
勉強になります。ありがとうございます。

>玉井人さま
中条政恒という方も知りませんでした。
こちらの方は、比にならないくらいの業績を残されたようですね。
それぞれの地方には、発展のために尽力された方がいたんですね~
最近は自分の為という方が、多いようですが。

投稿: もうぞう | 2007/01/15 07:40

福島県で言う猪苗代湖から郡山市まで水を引いて「安積疎水」を作り、現在の郡山市やその周辺の発展に寄与した「旧米沢藩士族の中条政恒」と同じような方ですね。

どこにでも発展の影には偉人がいますね
教科書にはなかなか出ないですが地元では語り継ぎたいですね

投稿: 玉井人 | 2007/01/14 22:46

郷土の発展と安全のために私財をなげうって尽力された方はかなり居られます。当時から関屋分水の必要性を歌えておられたというのがすごい。
関屋分水で信濃川の安全が確保されたわけですから。
当地にも五十嵐川改修をうったえた松尾与十郎という人がおりました。現在三條の日吉神社に銅像があります。
あれから時代がたち再び三條が洪水に見舞われました。
さぞや無念だったのではと思います。現在復興のため家の取り壊しが行われています。どのような姿になるのでしょうか・・・・長くなりまして失礼しました。

投稿: Racexp | 2007/01/14 20:56

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