もう19年になります。

昨25日に電車の冬囲いが外されたようです。

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保存されて19年。

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その廃止されたとき、記念として発行されたスタンプ帳。

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裏表紙の絵は、穂苅春雄氏。
8枚組の絵はがきセットも発売された。

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左から、月潟・白根・味方・大野町・青山・新潟関屋の消印。
今もこの消印は、残っているのだろうか?
発行元は沿線の郵便局。

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「これって何ですか?」

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塀の後の建物、何だかおわかりでしょうか?

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中の様子です。

お分かりでしょうか?
便器の無い男性用小便所なんですね。昔の田舎公衆便所の代表的な作りです。

右手にあるのが、女子小用または男女大用です。
こちらは一応旧式の和便器が付いています。

昭和初期の話題ではありません。今も現存しています。
でも利用する方は、あまりいないようです。





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名残

旧月潟村(月潟地区)に最盛期で24軒あった料理屋は、今はすべての営業をやめている模様です。
そしてその当時の建物はほとんど取り壊されました。

でも3軒ほどが、名残を残しています。その内の2軒を紹介しましょう。

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もちろん、鍋茶屋や行形亭などとは、比にもなりませんが、いずれ消え去る運命なのかと思うとせめて写真で残しておきべきかと。

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月潟の不可思議

肇子(漂泊の楽人のヒロイン)が、月潟駅に降り立って街並みにそって歩いた印象を、要約すると。つまりは作者:内田康夫の印象?

村という語感からすると随分、繁華だがそれにしても人気(ひとけ)のない街であった。商店は確かに店を開いているのだが、道路を歩く人の姿はほとんど無い。
・・・・
それにしても奇妙な街だ。
料理や風の建物が多くあり、どれも店を畳んで仕舞ったようで、さびれた印象だ。

昭和61年以前の印象かと、想像できます。


そうなんです。
月潟地域の2大不思議。
一つは、なぜこの地で角兵衛獅子が生まれたか?
もう1つは、なぜ料理屋が多かったか?

とりあえず、料理屋は最盛期24軒で、芸者数が30名ほど。
村の人口は、最大時でも4500人。

昭和53年の頃、料理屋は6軒、芸者は8人。
現在は料理屋らしいものは、0軒となっている。

いつになるか分かりませんが、続編の予定があります。

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表覽一持價地

注)タイトルは、右から左に読みます。

今なら、地価持一覧表。西蒲原郡内の土地の価格でしょうね。

先日の紙幣や古文書と一緒に出てきた冊子です。

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昭和4年の150圓以上の地主の記録なのでしょう。
発行人は個人名です。1冊50銭。
当時はこんなものが売れたのですかね?今なら個人情報も問題になるでしょう?それに値踏みは誰がしたのか?

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当時はまだ、34の町村がありました。今や西蒲原郡は弥彦村だけです。
他は、新潟市と燕市です。

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各集落ごとに金額と名前が記入されています。

ちなみに最高額は、219,399圓の今井家
2番目が134,983圓の山田家
この2件がずば抜けています。

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古紙幣と通帳

何やら古めかしい箱の中から出てきたものは、文書(もんじょ)と・・・紙幣と、

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大正小額政府紙幣だそうな。程度は良い方だろう。

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貯金通帳です。

右は郵便貯金(昭和20年)、左側は新潟貯蓄銀行(昭和14年)とあります。

調べてみました。
新潟貯蓄銀行とは、明治28年創立で、昭和19年に第四銀行と合併しました。

面白い記事にヒットしました。
新潟貯蓄銀行が1915年(大正4年)、大正天皇のご即位大礼を記念し、100年の長期定期預金を募集した。
100年定期は年利6%で1年複利だったという。当時の銀行員や国家公務員の初任給は40〜50円程度。1円を預けると、満期には339円30銭になっている計算で、子孫に一財産を残そうと申し込んだ人もいたとみられる。

ところが・・・ε-( ̄ヘ ̄)┌ ダミダコリャ…


で、100年後2015年実際に第四銀行に数件の問い合わせがあったという。

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火の見櫓

20年くらい前までは、各集落にあった火の見櫓ですが、今やとんと目にする機会がありません。
鉄塔と言えば、ケータイやスマホのアンテナに取って代わられました。それらはもちろん火の見櫓の機能はありません。

しかしまだ残っていたんですね~

Imgp9794まだ登ることが出来そうです。

Imgp9795半鐘も付いています。電球も?

残しておいて欲しい歴史的遺産。

 

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「こうろ」これが最後?

またまた「こうろ」の話で恐縮ですが・・・

こうろとは、堤防を登るため、また川に向かって下りるために付けられた小道で、川側は主に階段状になっています。
なぜ川に下りるかというと、水道が無かった頃、洗濯や洗い物、ゴミ捨てまでなんでも川で済ませました。ネズミ捕獲器で捕ったネズミを処分するため。なんてものもありましたね。

さてそのこうろ、どんな漢字を当てるのか?

いろんな方に伺ってみました。みなさまからもコメントをいただきありがとうございました。

高路・行路・公路・降路・小路・向路・・・

確定的な漢字は、見つかりませんでした。

ただ、普通は「こうじ」と読む「小路」を「こうろ」と読ませたとする説が、面白かったですね。

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新たに発見した「こうろ段」
土砂が堆積して水辺に届かなくなった(写真上部)

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「ど」とは、用水路や用水のことなんですが、
この「ど」はどこから来ているのか?どんな漢字を当てるのか?
なかなか解りませんで、いろんな方に伺ってみました。
ご協力いただいた方ありがとうございました。

あまどい=雨樋の「どい」→「ど」 Y氏の説

‘どう’からきていると。つまり‘胴’や‘筒’である。 N氏の説。

さらに、K氏によれば、「道」ではないか?つまり水の道のこと。

また水のことではなく、土手のことではないか?
用水では必ず土手が必要になりますから。

関連した文言に「もうりど」があります。本堤防のまわりに補助堤防を築いて水量や水圧を調整しやすくしたようです。本来は「まわりど」だと思われますが・・・
この「もうりど」なんかは、輝さまのご意見=「盛り土」とも合致します。

諸説出ましたが、結論は?

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こうろ段

「こうろ段なら、家の近くに残っていると思いますよ」と、Y氏から教えて頂きました。

早速行ってみました。
草が伸びると見えなくなってしまいますからね。

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堤防上(手前)から川(上部)を望む。たしかに階段状の段が川に向かって伸びています。

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下から堤防を望む。よりハッキリ階段が分かります。

河川改修などで多くのこうろ段は、撤去されたようです。
かろうじて残ったこうろ段。
遺産として残して欲しい?

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