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角兵衛獅子

内田康夫の「漂泊の楽人」にも登場する「角兵衛獅子」
江戸中期から明治初期にかけて人気があったという。

しかし義務教育の普及や意識の変化・児童虐待防止法が発令されるに至って、すっかり消滅してしまった。

その頃からか、獅子は村民からは嫌われるようになった。
理由は、子供の搾取・人買い・虐待・・・など負の部分ばかりが大きくなっていったことによるようだ。
月潟出身だというと、「獅子の子か?」などとからかわれたこともあったという。
つまり獅子が消えることは、良いことだったようだ。

それでも一部の識者からは惜しむ声があった。
奥山亀蔵青柳良太郎※は、お座敷芸として復活を試みた。昭和11年のことである。
しかし芸者の獅子では、身のこなしなどに限界があった。それに戦争が激しくなり、廃れてしまった。

さらに時代は進み、昭和34年。青柳良太郎や時の小学校長江部保治氏の尽力で子供を対象にして、獅子の復活を試みたのであった。
まだまだ村民の根強い反対もあったが、理解を示した親御さんもあり、13人の児童が応募したという。

昭和38年第5回関東ブロック民族芸能大会で喝采を浴び(NHK放映)、昭和42年弥彦で御前演技の栄をいただいたのであった。
それらにより角兵衛獅子は、郷土芸能としての地位を不動のものとしていった。

しかし残念ながら、口上や笛・太鼓などは録音によるものであり、生演奏による獅子が復活してこそ、郷土芸能「角兵衛獅子」と胸を張れるのだが・・・

※青柳良太郎:建築業の傍ら、農民運動などで力を発揮し、土地改良事業や村長職を歴任、月潟の近代化に尽くした。

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コメント

輝ジィ~ジ さま、こんばんは。
獅子の起源については、はっきりしません。
しかし文献によれば、1756年・1781年の書物に越後獅子や蒲原獅子の記述があるという。
さらには、1187年には、全国で獅子を舞っても良いという免状もあるという。

「月潟村誌」S53年発刊。
多分図書館にあると思います。
興味のある方は、ご覧ください。

投稿: もうぞう | 2007/10/23 19:15

当事者・関係者にとっては、忌まわしい過去だったかもしれません。
しかし有る意味での戦後民主教育の悪い面が強く打ち出された
結果かもしれません。今の時代は逆に伝統文化を
後世に残す大事な時だと思います。
それにしても 確かに起源はどうなっているんでしょう?

投稿: 輝ジィ~ジ | 2007/10/23 18:20

エンドウマメさま、おはようございます。
ごぜもそうですね。似ているかも知れません。
しかしなんで月潟で獅子が発祥したのか、発達したのか?諸説ありますが、ナゾが多いです。

投稿: もうぞう | 2007/10/18 06:17

先日の番組内でも、少し説明されていましたが
三味線をこわきにかかえ、門づけ歌や段物・くどき
はやり歌などを歌い歩いた盲目の遊行芸人″瞽女
(ごぜ)″の組織は、昔は関東・北陸から九州に
いたる広い地域にわたって随所に見られたというが
越後に本拠におく瞽女集団が最も発達し、かつ近年まで
活動されて・・・いました。 角兵衛獅子も同じで
肩身の狭い生活だったのでしょう。 新潟の歴史として
残して・・欲しい芸能です。

投稿: エンドウマメ | 2007/10/17 20:25

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